相内少年卓球クラブの歩み
相内少年卓球クラブが設立したのは昭和63年4月1日
始めはあるお父さんが自分の子供を含めて卓球を教えてくれないかとの依頼からでした。
快くボランテァ活動として引き受け卓球をもっと強くしようと真剣に取り組みました。
中学校の顧問の西村勝治先生と出会い子供のための気持ちが一致しその後10年以上共に泣き笑い、津別活汲中学校へ転勤するまでおつき合い頂きました。
またその当時の北見クラブの村山監督さんにも親身に我がクラブを教えていただきレベルを上げて感謝していましたが残念ながら平成2年逝去されました。
その時の北見クラブのメンバ-が山川選手や小沢選手で、ずば抜けた才能でした。そしてその二人のライバルに元全日本の梅村選手がいました。
そんな刺激を受けて頑張っていたお陰で我がクラブの後藤明美が中体連で初めて全国大会出場を決めたのでした。
その後、4年間どうしても全道大会までは行きますが全国はなかなか行けなかったのが、平成6年から全国大会へ行ける選手が輩出してきて平成10年からは毎年全国大会へ参加する選手が出てきたのです。
(詳しくは全国出場者の欄で
その中で管野有希子、宇野めぐみ、菊地可奈、久田智沙理は高校でも大活躍でした。
特に、管野有希子は相内クラブから釧路の鳥取中学を経て旭川実業高校で鳥取中学の同級生阿部選手とダブルスを組み全国高校卓球大会(高体連)で準優勝をしました。
また、宇野めぐみは、札幌の星園高校で団体、ダブルス、シングルで常に全国出場、特に団体ではエ−スとして全国大会でベスト8とがんばりました。
管野と、宇野は同級生で旭川実業と札幌星園高校に分かれてよきライバルとして卓球を楽しんでいましたね。
その後も、菊地可奈は旭川実業で、久田智沙理は札幌星園で全国大会へと出場し活躍しました。
大野先生との出会い
そんな時期に瑞穂卓球少年団の大野先生と巡り会い、お互い少年団で活動しているのでよりよい技術向上を求め、ともに合同練習しながら、瑞穂の子供たちも、全国へと出場するようになりました。
大野雅人、藤田俊彦、大野沙耶、大野浄人、大野宗映、黒瀬ましろ等も我がクラブのメンバ−と一緒にシングル、ダブルスを組みながら全国大会へ出場しました。そして中学卒業後各高校でもがんばってました。特に大野雅人は小学、中学、高校、大学と全国出場し、そして札幌龍谷高校の臨時コ-チとして1年間在籍し、今は教員目指してがんばっています。
今でも大野先生とは15年以上おつきあいしともに
技術向上の練習をしたり、お酒を飲んで交流しています。